教会案内
外観について
煉瓦タイルに緑の瓦屋根、赤い扉が目を引き付けます。周りが住宅街ということもあり、見上げなければ教会に塔があることも気が付かないかもしれません。正面から見るとおもちゃのような可愛い教会です。玄関に立つと、赤い扉がスーッと左に自動で開きます。左斜め前に大きなガラス戸が,更に左に自動で開きます。(1階2階共に土足入場可)
教会内について
中に入ると、右手には階段があり、踊り場には二枚の額に入った絵がかけてあり更にステンドグラスがあります。階段を登ると左手奥にエレベーターがあります。1984年3月3日放火によって全焼した際の再建時に鉄骨、コンクリートパネルで、礼拝堂を二階にしました。トイレは別として、教会員が高齢化してくると玄関で履物を履きかえることが困難になりました。 「教会は、誰もが自由に出入りを出来なければならない」との考えから2015年、バリアフリー化の工事をしました。トイレは3室とも広く、点灯消灯は自動、便器も自動洗浄付ウォシュレット、エアータオルとしました。 殊に、二階には多機能型を設置。(オストメイト)
2016 6月撮影 教会
2階 礼拝堂
2004 5月撮影 教会
ステンドグラス「神の平和」
教会堂の2階、階段の上、南側の窓に取り付けられています。制作の主題は聖書ヨハネによる福音書20章21節から「神の平和」です。制作者は1954年生まれ、信楽在住の田ケ原弘氏。1981年東京藝術大学を卒業してから各地の教会、キリスト教大学などのステンドグラス、石モザイク、陶壁による壁画を制作している。
教会の歴史と変遷
◆第2次世界大戦中、軍部が教会統制のため
造った「日本基督教団」に日本自由メソヂスト
の諸教会は統合させられていたが、敗戦後の1952年に自由メソヂスト教団は「日本基督教
団」を離脱した。
当時グレース教会に所属していた織田金雄牧
師は自由メソヂストに戻るため、12名の有志
と共にグレース教会を出て、まず播磨町の青年
会館を借りて礼拝と会議を行った。
この第一回教会会議を行った1952年11月2日
を当教会の創立記念としている。
岸の里教会員西本兄のご好意により、作業場
として使っていた西田辺の部屋を日曜日・水曜
日に貸してくださり、西田辺教会として名乗りを
上げたのが当教会の始まりであった。
それから7年後の1958年に地下鉄建設予定
地の現在地我孫子に土地を取得、木造一部
二階建の教会堂が与えられ、教会名を「大阪
東南基督教会」とし献堂式を1959年1月10
日に行った。
同年6月には宗教法人として認可され、当教
会はいよいよ名実ともに地域の教会として活
発に伝道を開始し、次々と受洗者が加えられ
ていった。
◆1984年3月3日の夜遅く、教会堂裏の部
屋から火が出てまたたく間に拡がり全焼した。
放火とのことであった。
全国から当教会堂再建のための献金が毎日
のように寄せられ、予算が着々と満たされてい
った。
今までの牧師館は二階であったが、生活には
不便であり今回は牧師館を一階とし礼拝堂は
二階とした。
このため高齢者のために昇降リフトが設けら
れた。
設計はヴォーリズ設計事務所の当教会出身者
大島義太郎氏が設計に当たり、コンセプトは火
災に強い燃えにくい教会堂と言うことでカーテン
も絨毯も、難燃性のものを使った。
献堂式は1985年1月20日に行われた。
第一回献堂式が1959年1月10日、第二回献
堂式は1985年1月20日という同じ月に行われ
たことの中に神のご計画を見る思いがする。
◆2015年8月より12月まで高齢者・障がい
を持った方々が使いやすい教会堂を目指して
大改修を行った。
スリッパへの履き替えをやめ靴のまま入れる
ようにした。
階段の昇降リフトをやめてエレベータを設置。
トイレを車椅子のまま使えることとし、オストメ
イトを設置した。
牧師館を広い集会室とした。
二階の扉はすべて軽く開閉できる折り戸とし
た。
以上で地域に開かれた誰もが入りやすい教
会堂となった。
◆当教会の出発から今日までの歩みの中に、
神の手が働いて来られたことを見る思いがす
るのである。
放火による焼失という苦難さえも用いられて、
教会堂を新しくされた。
また2012年に大阪南港教会が当教会との
合併する、という大改革が行われ、牧師の高
齢化に対する補強を図られたのである。現在
牧師は3名を擁する。